「寺山修司青春歌集」(寺山修司)

私にとって短歌は俳句以上に縁が薄い存在です

「寺山修司青春歌集」(寺山修司)
 角川文庫

正岡子規、高浜虚子、
種田山頭火、水原秋桜子、
山口誓子、中村草田男、
飯田蛇笏、…。
高校生のとき授業で習った
俳人の名前は
なぜか記憶に残っています。
しかし、歌人の名前は…、
不思議となかなか出て来ません。
短歌というのは俳句以上に
私にとって縁の薄い存在です。

でも、この寺山修司は、10数年前、
角川文庫できれいな女性の写真で
装幀された文庫本シリーズが
復刊した関係で、
その頃からよく読んでいました。

わが窓にかならず断崖さむく青し
       故郷喪失しつつ叫べず

短歌というものは、
自然の美しさにふれた
感動を詠むものだと
勝手に思いこんでいましたが、
10年前に本書に出会い、
それだけではないことがわかりました。

轢かれたる犬よりとびだせる蚤に
   コンクリートの冬ひろがれり

私は短歌についてよくわかりません。
寺山修司以外に知っているのは
俵万智ぐらいです。
比較対象がないために
何とも言えないのですが、
寺山修司の歌は
どこかに悲しみを宿しているように
感じています。

夏蝶の屍をひきてゆく蟻一匹
    どこまでゆけどわが影を出ず

多分、国語の教科書に
掲載されている短歌(自然の美しさを
詠んだもの)とちがい、
自己の内面を深く見つめて
詠みあげたものだからではないかと
考えています。そして、
彼の歌からはややひねくれた青年の心
(ジェームズ・ディーンのような)が
映し出されているように
思えてなりません。

群衆のなかに故郷を捨ててきしわれを
        夕陽のさす壁が待つ

資料を調べてみると、
歌壇に登場した際は
かなり前衛的だったとのこと。
三沢市寺山修司記念館のHPを見れば、
短歌だけでなく、
演劇などの分野を含め、
すべてにおいて
前衛的だったことがわかります。

ねむりてもわが内に棲む森番の少年と
         古きレコード一枚

今の高校の国語の教科書は
どうなっているのでしょう。
この寺沢修司の短歌は
載っているのでしょうか。
それともまだ
明治や大正期の歌人の歌が
幅をきかせているのでしょうか。

別に新しいものがいいとか
古いものが優れているとか
言うつもりはありません。
どちらも芸術として確立されている、
素晴らしい日本の文化だと思うのです。
ただ、こういう歌なら、
若い世代が親しめる可能性が
高いのではないかと思うのです。
短歌なぞには
なかなか見向きもしないであろう
中学生高校生に、
ぜひ薦めたいと思います。

(2020.2.12)

ThePixelmanによるPixabayからの画像

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